のどかな島国が発展へ直面するとき
仕事柄村へ行くことが多いですが、村への滞在は私が積極的に行いたいと思っていることです。
私は国際協力の現場を見たいと思ってソロモンへ来ましたが、ずっと首都のオフィスにこもっていてはそれはまったく果たせません。やはり現場は、ソロモンの人々の大半が暮らす村だと思うのです。
ソロモンはとても興味深い国です。
国民の8割は自給自足で、村へ行けばお金を使う場所がほんの少ししかありません。個人経営の小さなストアをたまに見かけますが、売っているのは、砂糖、塩、石けん(そして悲しくもインスタントヌードル…)程度のものです。
大きめの村では、小さなマーケットが開かれていることもあります。余談ですがここで去年使用期限の切れた通貨が出回っていました(!)
ところで、ソロモンの子どもたちの就学率は高いと思います。ここは島の裏側の村ですが、ほとんどの子どもが学校へ行っているのではないかと思われます。村にはそれぞれ村の言葉がありますが(ソロモンには800以上の言語があると言われる)子どもたちは学校で共通語のピジン語を習うので、ピジン語で私ともコミュニケーションがとれます。おばあちゃん世代になると現地語しかできない場合もあり、そのときは現地の人に通訳をお願いします。
村の人々から印象的に感じるのは、首都暮らしの私に対して「町はせわしなくて疲れるだろう?村暮らしはいいよ。」と言った問いかけが多いことです。町への憧れを感じません。確かに首都は憧れるような町でもないのですが、それだけ村の人々が平穏で安心できる暮らしを享受できているように感じます。「お金がなくても、毎日お腹いっぱいになれるよ。」と。私たちも村での食事は、分けてもらうかキッチンを借りて自分たちで調理します。
首都はそれほど都会でもありませんが、もちろんお店はたくさんありますし、人々の中に都会への憧れ、また私を前にしたときは日本、“トーキョー”への憧れがあるようです。
このたったの1年で、町を走る車が随分と増え、人も増えた気がします。この国の公共交通機関である小さなマイクロバスたちは、どんどん満杯になっていきます。そのバスの中では、運賃集めとして子どもが働いている場合があります。道の端でタバコを売る子どもの姿もあります。首都にはスラムもあります。ゴミ山もあります。そこでは子どもが換金できるものを探しまわっています。首都ではお金がないと貧困に直面してしまうのです。
首都の波が村の人々まで押し寄せたとき、村の人々が自分たちの力で生きて行く力が必要になる、あるいはそれを守る力が必要になる、と思っています。それには実質的な環境を整えること、そして彼らに彼ら自身の生活に自信を持ってもらうことが大事だと思います。私は活動を通してそんなお手伝いをしたい、そう思っています。