分断されない女たちーほどほどに、誰かとつながり、生きのびるためにー
国際女性デーの本日、先日参加したフェミニズムのセッションについて書いてみようと思います。
女性同士がいがみ合うようなイメージってつきものですよね。
私自身も社会に出てからというもの、男性よりもむしろ「女性に歓迎されていない」と感じてきました。「女性が女性の社会進出を応援していないじゃないか」という疑問を抱いてきたのです。
幸い、今はこういう状況からは脱することができましたが、なぜあんな目に遭わなければならなかったのか?という疑問は未だに消えていません。
これが誰かの意図によって行われているとしたらどうでしょう。
あなたは、他人との人間関係を誰かにコントロールされている、他人との繋がりを邪魔されていると感じることはありますか?
以下、「分断されない女たち」より(※)−−
‘Divide and rule’=「分割して統治せよ」
これは、植民地支配の歴史の中でも行われてきたことで、
支配者は、人々の連帯を防ぐために人々を分断しようとします。
フェミニストたちは活動をする上で、この支配構造にどのように抗ってきたのか。
その方法として、興味深い三原則が紹介されていました。
三原則
1. やりたい人がやり、やりたくない人はやらない。
2. やりたい人は、やりたくない人に強制しない。
3. やりたくない人は、やりたい人の足を引っ張らない。
とてもシンプルです。ポイントは個人の違いを尊重している点。
副題の解説もまた興味深い。
「ほどほどに、誰かとつながり、生きのびる」
なぜ、「ほどほど」なのか。
ほどほどであれば、考えや方向性が同じでなくてもつながれると考えます。
強いつながりもつらいし、つながらないのもつらいけど、ほどほどならつながっていられる。そうして、分断されていない状態を保つ。
三原則も、ほどほども、個人の違いを尊重している点がポイントです。個人の違いが存在しているだけではなく、お互いに尊重できている状態を指します。
強いつながりというのは、そもそもそんなに簡単に手に入らないですよね。
そんなに簡単に人を信用できないし、だから期待もできなかったりします。
思うに、他人と強くつながれないのは、だいたいの場合他人や自分が良い・悪いからではなく「違う」からなのだと思います。
海外で4年間働いて帰国して感じることは、日本人はほんとうにおとなしいということ。
海外だと、自然な会話の中で「私はこういう意見なの」ということがでてくるのに、日本でそれをやると相手を突き放しているように思われたり、違うなら仲間になれないと思われたりするような雰囲気があります。
私自身も、自分がつらかったとき、もう少し周りにつながりを求めても良かったんじゃないかと思うことがあります。
もし、あなたが女性同士の対立に悩んでいるのならば、真っ向から立ち向かうでもなく孤立するでもなく、周りとほどほどにつながるという選択肢を、考えてみてはどうでしょう。
ゆるい連帯はあなたを救うかもしれないし、
それはやがて、支配する者へ立ち向かうパワーになるかもしれません。
※大阪府立大学女性学研究センター主催、2021年2月27日「分断されない女たちーほどほどに、誰かとつながり、生きのびるためにー」での、荒木菜穂さん(大阪府立大学客員研究員)のお話より。